日本人は一般的に我慢強く、パニックになりにくいと言われています。台風や地震などの災害に見舞われた時も、きちんと並んで食料や水の配給を、文句も言わずに待っている姿などが、ニュースでも報道されます。その理由は一体なぜか。
私の考えでは、日本語の文の構造が大なり小なり影響を与えていると思うのです。
日本語は、「昨日友達と渋谷に行」まで聞いても、それが肯定文なのか、否定文なのか、疑問文なのか分かりません。つまり文の一番終わりまで聞かなければ、言いたいことが分からない言語だというわけです。
「昨日友達と渋谷に行きませんでした。」かもしれないし、
「昨日友達と渋谷に行きましたか。」かもしれない。
一方、英語などは最初の3文字で、疑問文なのか否定文なのか肯定文なのか分かる構造になっています。
Did you go,,,
I didn't go,,,
I went,,,
英語で話していると、最後まで言い終わらない内に他の人が割り込んできて、何人か同時に話す、なんていうことがよくあって、「失礼だよな」と思いますが、日本語では最後まで聞かないと、その人が言いたいことが分からないので、自然に辛抱強く聞く態度が養われると思うのです。
大事なことが一番最後に来る、というのは単文の話しだけではなく、普通のストーリーテリングや、論説文などでもよく見られます。話の行き先がどこに行くのか良くわからないまま、それにしびれを切らさずにとりあえず最後まで読んでみる。逆に、英語の論文のように最初に結論を言ってしまうと、面白みがなくなるという感覚が、日本語にはあります。なので、文の組み立てとしては大枠を作り上げておいてから、本題に行くというプロセスになります。場所、時、などを先に持ってきて、最後にどうなったか、という英語とは逆の順番になるわけです。
それは、住所にも良く表れていて、アメリカなどは、最初にまず地番、通りの名前、町、市、郡、州、の順番ですが、日本語では、大きい区域から、まず東京都、そして渋谷区、次が渋谷、そして最後が地番となります。最初にピンポイントのところから始めて、ずーっと広域にズームアウトしていく感じが英語。日本語は、ヘリコプターから撮影を始めて、だんだん地上のある地点に降りていく感じ。つまり、大枠を設定してから細かい所にいく思考の流れです。
これは、日本語に特徴的な「は」の働きにも関係があると思われます。日本語では、「は」を使って先にトピックを示してから、言いたいことに入る。
「田中さんが昨日休みました。」という文はもちろん普通の文として存在しますが、はっきりさせたい部分を先に持ってきて、
「昨日休んだのは、田中さんです。」
「田中さんが休んだのは、昨日です。」
「昨日は、田中さんが休みました。」
など、焦点を当てたいものを最初に持ってきて、それについて叙述することが、日本語の特徴だと言えるでしょう。
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